ホームページを作る人のネタ帳

デザインが優れている人には愛情と思いやりがあるという話|資料やメールも全てがデザイン

デザインとはなにか?
Word資料など、10年前にはよく作っていた時に、先輩から教わった話。
「デザインの仕事しているのに、文章がとてつもなくわかりにくいね君」から会話がスタートした。

は?なんで文章なのにデザイン関係あるの?

デザインはレイアウト、見た目、イラストと言ったものだけではない


最近、Webデザイナーの初心者さんからの質問で
「デザインのセンスはやっぱりデザインの基礎から学ばなければいけませんよね。綺麗なWebデザインを作るためにはレイアウトとか配色とか比率とか、あと絵ももっと勉強を・・・」

これを聞いた時、どこかに違和感を覚えた。

うーん?

しばらくして思い出した。そういえば昔先輩に教わった覚えがあるなと。
当時私は新聞の折込広告などの作成を行なっていました。その時の企画提案書を先輩に確認してもらった時の事。

「デザインの仕事しているのに、文章がとてつもなくわかりにくいね君。デザインとは相手を思いやる心からはじまるんだよ。読みやすい文章は、相手が苦もなくその文章を受け入れる事が出来る。」

なるほどと、刺激を受けた記憶が今だにある。

「これは絵を書いたり、レイアウトを考えたりするときも一緒だよね。一方から伝えたい思いがあったら、それをどのように直感的にわかりやすく伝えられるのかを考えるのがデザインだよ。だから、ここにある缶コーヒーの開け口だって、昔はそのままぺろっと取って捨てるものだったのが、いつの間にか捨てなくても良くなっただろ?これもれっきとしたデザインさ」
昔のタイプ
つまり、提出する文章ですら、まずは相手に「読む気」を起こさせ、「読んでもらうために」文章を考えたり、テキストサイズを考えたり、言葉を選んだり、イラストを駆使して、最後に「言いたいことを納得してもらう」っていうのが一つのパッケージデザインになっているというお話。

中にはメールの文章すらデザインする事が出来るというお話も、たしかTwitterかなにかで見かけた記憶がある。

「相手は何歳くらいの人?女性?男性?何に興味がある人?まずはそのあたりから考えるのが、その人に伝わる物を作る最初の一歩になるんじゃないかな。これは思いやりのデザイン。でも、最後の一歩飛び抜けた物を作るには必ず愛情がいる。まぁこれは思いやりができてからまた話すよ」

また話すよ、と言いつつ先輩はその2ヶ月後に独立してしまったというオチが有るのですが。

つまり、絵を勉強したいのは何故か?見やすいレイアウトを学ぶ理由はなにか?Webデザインを学ぶのは何故か?
こうした理由は「表現したいものを正しく伝えるためのスキル」という言葉の中に含まれるのではないか。これが最初に抱いた違和感の正体だった。

「伝えたいこ」と「思いやり」と「愛情」


「いい文章」を書くための3つのルール

例えば私が気をつけている事の一つとして、このようにただ漠然とリンクを貼ることはありません。リンクを貼ったら、どうしてそのリンクを貼ったのかという理由が明確でなければならない。

ヤコブ・ニールセンの受け入れでもありますが、なんの理由もなしに貼られたリンクには価値が激減する。

こちらはそのリンク先の情報を拝借して、自分の記事の一部にしようとしているわけですから、そのリンク先の価値を伝えて、読者に興味をいだいてもらい、出来れば読んでもらい、これが紹介した理由かと、納得して欲しいわけです。

リンクを貼られた方も、たった一言でもリンクをはった理由が添えてあると嬉しいと感じる事が多いのです。

そうでなければ、自分の言葉でリンク先の内容をある程度書いたほうが、読者にストレスを与えずにすむわけです。引用という手段もその一つであり、読者がリンク先を開く前に、ある程度その引用を見るだけで物語が完結するかどうかが一つのポイントとなるのです。つまりこれもデザインの一つと考えています。

さて。最初になぜこのリンクを貼ったのかというのは、一つ理由があります。
それは、文中に書かれている3つのポイントが、あまりにも「良い文章」を作るルールとして明確であり、脳を揺さぶられたからです。

1.「謎」には「答え」がなければいけない。

2.「伏線」は「回収」されなければいけない。

3.「結論」には「驚き」がなければいけない。

これらの細かい詳細はリンク先を参照してください。特に最後の一文はぐっとくるものがあります。

この3.「結論」には「驚き」がなければいけないに注目したい。人への愛情表現とは、極端な話、相手が喜ぶことを自主的にすることです。その喜びの最たるものが「驚き」ではないかなと。

よく耳にする言葉で、料理は愛情という言葉があります。みんなが同じハンバーグを作っても、食べる人が喜ぶその最後の一手を考えるためには、食べる人のことを常に考えなければなりません。

材料は?お皿の盛り付けは?お店の雰囲気は?出されるコースは?ワインは?
ハンバーグだけでなく、食べる人に喜んでもらいたいという愛情がなければ、その最後の一手には届かないのです。

つまり「愛情」は、こうした「驚き」を提供する為に必要不可欠なものなのかなと、先輩が言っていた愛情を、私なりに解釈しています。
卒園式から学んだ顧客の記憶に残る感動の作り方でも書きましたが、驚きは時に大きな感動につながることもあります。

最後の仕上げまで手を抜かないのがデザインにおける「愛情」なのかなと。

まぁ、そんな事言っても私はデザイナーを名乗る気はさらさら無いので、私が感じている事が、皆さんと同じという事にはならないかもしれませんけどね。

デザインを学ぶ理由


デザインを学んでも、ちゃんと伝わらなければ意味がありません。
ここ3年でデザイナーのブログが大きく変わったことが一つあります。それは、テキストサイズが9pxという文化が激減したことです。デザイナーのサイトを開くと何故か文字サイズが驚くほど小さいという時代が確かにありました。

これらも、相手を思いやる気持ちがあればそんな事にはならなかったはずです。

「伝えたいこと」をきちんと「伝わる形」にすることがデザイナーのお仕事だと思いますので、私はそんなデザイナーさんを尊敬しています。だから、あまりにも思いやりに欠けるデザインには、周りからはどんどん酷評がついてもいいと思っています。ダメなものはダメって言ってもらえないと、そのデザイナーさんが将来困ることになると思うんですよね。

これだって愛情の一つです。きっと。

ついでにいうと「伝えたいこと」が、多くの人にとって「驚き、喜び、感動」に繋がる物を作る人が、ワンランク上のデザイナーと呼ばれるようになるんじゃないかな。

さてさて、皆さんは何のためにデザインを学んでいるんでしょうか?
今一度思い返すきっかけとなればと思います。

それでは、また。
@yamada_nt
Posted by@yamada_nt
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Comments 2

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twenty three  

No title

はじめまして。
私は東京でwebデザイン&アプリデザインをしているひよっこwebデザイナーです。

昨日、上司とそのような内容で対立したのでタイムリーな記事すぎて驚いています。
上司の言い分は「他者との差別化を図ったレイアウトとデザインがいい。俺は(iPhoneアプリによくあるような)ありきたりなデザインは嫌いなんだ。」というもので、個性?を主張したいといわれました。
しかし実際のデザインはユーザビリティがお世辞にもいいとは言えないようなもので、アーティスティック感がほとばしるものでした。
アプリのコンセプトは実用性だったのでUIについて話し合いをしても「これがいい」の一点張りで、あまりにも自信を持っていうので、私の方が間違っているのかと思い始めてしまっていました。

今回の記事を見て「私は間違ってなかった」と思えました。
やっぱりもう一度打合せを重ねてみようと思います。

2012/03/02 (Fri) 12:17

山田  

テクニックはマインドが扱うものだと

Yamadaさんはじめまして。
ふざけたハンドルネームなのではなく本当に山田なので誤解しないでください(笑)

私の師匠が口を酸っぱくして言っていたこと、
「テクニックはマインドが扱うもんだ。そのマインドとは目の前にいる人をどう喜ばせようかとワクワクすることだ。その先にある結果を目的としてはいかん。これでだいたい全部うまくいく」
という言葉を思い出しました。デザインも同じなんですねぇ。感服致しました。
女性を楽しませる事だけを考えて接していれば、結果としてその女性は自分に好意を持ってくれる。
お客様を喜ばせる事を愚直に考えれば結果として報酬を得られる。
その「だいたい」にデザインも含まれるとは。。。センスではなくまずマインドなんですね。

2014/07/07 (Mon) 12:40

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