ホームページを作る人のネタ帳

あなたの言葉が人に届かない理由「言葉が人を選び、惹きつけ、引き離す」

ブログの声を伝える方法
ブログにおいては、文章によって人に何らかの情報を届けます。
その際、ブロガー自身が発信する言葉を全く必要としないものもあれば、ブロガー自身の言葉を届けたほうが人の感情に届きやすいものになる場合もあります。

今回は後者の方。
人の感情に文章を届けるとはどういうものかを具体的に考えてみましょう。

その言葉、何を意味する?


たとえば、

「掃除したくても出来ない、微妙なものはたくさんある。例えばビックリマンチョコのように、シールがほしくて大量に購入したあと、そこにのこるチョコの山を眺めるかのような感覚だ。」

「テレホーダイ時代の習慣で、接続のたびに作業が終われば直ぐ接続を切るといった癖のように、昔からの癖はなかなかぬけない」

「まさにその人は、LINEのグループからそっと追い出されるような、そんな存在だ。」

「最近の羽根のない扇風機では、あ"あ"あ"あ"が出来ない」

さて、ここで考えてみましょう。
皆さんはこの中で「あーわかるわかる」といった感情を残すものがありましたか?

もしあったなら、それは普通の言葉よりも、共感でき、より強く記憶に残るものです。

逆に、何を言ってるかサッパリわからないという人にとってみると、全くといっていいほど記憶に残りません。

これらは一体、何を意味しているでしょうか?

ただの説明か、共感による説明か


さて、例えば生まれてから一度も羽根の付いたプロペラ式扇風機を自宅においたことがないという世代は既に存在します。エアコンであったり、サイクロン式の扇風機であったりと、時代は進んでいます。

そんな彼らに、「あ"あ"あ"あ"」というキーワードが通じるでしょうか。
答えはNOです。

新たないじめの中で、LINEのグループから翌日突如追い出されるといった物を目にしたことがある、もしくは実際に追い出した、体験したという人にしかわからない感覚がある。

果たして現在の30代以上の人が、この感覚を共有することが出来るでしょうか。
答えはNOです。

多くの場合、年齢によるギャップが存在します。
同年代の人が集まりやすいのは、こうした話題のコアとなる共有部分が強いからです。

また、同じ趣味、仕事をしている人達も同様に共感する部分が多く、グループとして接しやすいのも同じ理由です。

最近では、ソナーポケットのシングル「片想い。~リナリア~」の歌の中に「既読になった画面をみながら」という歌詞がある。

5月1日に歌詞を先行配信し、わずか1日でゴールドリリック(歌詞表示数194,244回)を記録を達成。これまでは、西野カナが最速記録を持っていたが、発売前の曲(先行配信)では初めての快挙とされている。

私の世代から見ると「既読」は時にストレスを感じる単語ではある。
メールを送られてきて、それを見たという報告を同時に行うため、直ぐに返さなきゃといった、ある種の追われる感覚に襲われる事もあるからです。

しかし、世代が変わればそれは常識的な物の中にあり、すんなり受け入れられる。なにより「既読」だけでLINEを想像するのは非常に容易い事でもある。

つまり、こうした言葉は、ある一定の人達の感情を揺さぶり、そして惹きつけるという事です。

惹きつける代わりに引き離す


単純な事ですが、これらの言葉の意味が全くわからない、または世代的、趣味、仕事等のギャップによって、共感出来ない場合は、逆にこうした言葉を使う人を避けるようになり、引き離します。

強いメリットでありながら、強いデメリットでもあると言うことです。

さて、もしも自身のブログにおいて、人の感情を揺さぶり、面白いと思ってもらう為には、何が求められるでしょうか?

確かに情報を紹介するのは価値のある事です。また、情報そのものが価値を持っていて、それを単に紹介するだけでもコンテンツと言えます。

しかし、その情報を紹介するときにでさえ、文章によって全く違うものになります。

もしもあなたが、あのブログ面白いなと感じたなら、そこにはどんな言葉が使われているかをじっくり、なめまわすようにみてみる事をおすすめします。

そうすることで、その人のはっする言葉に、何らかの共感を得る部分が見つかります。それはどんな言葉か。どうして共感したのか。そんな新しい発見をすることが出来ます。

共感を得るために共感を探す


人に共感してもらうということは、簡単なようで難しい事でもあります。
講演などに行く前には、必ずどんな人が来て、どんな仕事をしているのかといったターゲティングを行います。それに合わせて言葉を選びます。

もしも日々、ブログを書いたりする方であれば、様々なブログを見て回るのが、最も手っ取り早く共感を得る為のコツを掴む方法だと思います。

最初に書いたとおり、人は自分に対する何らかのアプローチを、ブログのタイトルから判断したり、TwitterやFacebookを通じて、この人がシェアしてるから見てみようとか、そんな思いから多くの情報を仕入れています。

つまり、あなた自身も知らず知らずのうちに、情報に引き寄せられ、また、自分から情報を引き離しているのです。

このサイクルを繰り返し行うことで、あなた自身の言葉や文章は、少なからず狭いクラスタに身をおくことになり、言い換えれば、それ以外のクラスタの人達を、知らないうちに拒絶してしまっている事になります。

もちろん、わかっていればそれでいいと思います。

ただ、知らないうちに拒絶してしまうというのは、もったいないという見方もできます。

もしそう思ったなら、今までは見ないような記事、普段なら開かないであろう本、文章に接してみるのが一番です。

人に物を伝えようと思ったら自分から色々な人と共感出来る情報をつかむために、色んな人の情報を目にするのが手っ取り早いと言うことです。

そこには、多くの発見があり、そしてどんなにジャンルや趣味、趣向が違っていても、どこかに共通する部分があることに気が付きます。

その共通する部分の発見こそが、全く別のクラスタの人達を、自分の得意とするクラスタへ誘う架け橋となる言葉にもなり、全く違う考えの人にも共感をお届けすることが出来るようになるのです。

たいてい、物事があまり上手くいかない時は、人に対するアプローチが、変に凝り固まっているケースが多いです。極端な話、なんにでもガンダムの話しを比喩しても、どれだけ多くの知り合いができ、どれだけ多くの会話を重ねようとも、とてつもなく狭い範囲の人にしか思っていることが通じていない、ということですね。

あまり上手く説明ができないな・・・。
もし一度でも思った事があるなら是非、興味のない情報にも手を出してみてくださいね。

それでは、また。
@yamada_nt
Posted by@yamada_nt
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IT起業アカデミア  

世界は言葉で分かたれる

「世界は言葉で分かたれる」と言いますが、同じ意味を伝えようとしていても、言葉の微妙な表現の違いによって伝わり方が全く違ってくるのが、ブログを書いていてとても難しいなあと実感しています。

記事にも言及されているとおり、言葉や文章というアウトプットの根底には、双方の共感があり、共感を生むためには、"過去の共通体験"や"興味"が必要不可欠なんだと思っています。

2013/06/10 (Mon) 16:27

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