なぜ、人は忙しい時のほうがブログが書けて、暇になると書けなくなるのか
2013年06月05日 公開

最近、TwitterやFacebookでの愚痴や悩みに近いつぶやきのなかで、こんなものがありました。
「忙しい時は書けるんだけど、いざ暇になって書こうとすると書けない」
ありますあります。
そうですねと思った方もいるんじゃないでしょうか。
よくわかります。
さて、ではこれ、何故書けないのでしょうか?
そこにはちゃんと理由があります。
そもそもブログってなんだ
ブログに情報を落としこむというのはとても意味のある事です。
書くことは頭のなかを整理して、そして考え、そこから一連の文章を表現します。
でもこれ、実際何を書いているのかわかっている人はあんまりいません。
そもそもブログとは、Web log の略でして、要するにWebにログを残す、それはつまり日記のような物としてスタートしたものです。しかし、日記なんて誰も読まないだろというとてつもない極論を押し付けてくる方もいます。
確かに、誰か知らない人の日記なんて面白いわけがありません。
それでも皆さんは多くのブロガーの記事を読んでいます。さて何故でしょうか。
ブログが書かれる瞬間に発生する脳の中のパターンは、その時感じたことを、昔の記憶と繋げ合わせたり、今ほかで起きてることと比較したり、これからおこるであろう未来を想像し、何らかの考えにいたり、それを排出しているわけです。
これってよくよく考えると、脳の中でその時発生した様々な『考察』の燃えカスのようなものです。つまり、脳の記録、ブレインログなわけです。
私がブログとはなんですかと聞かれればこう答えるでしょう。
ブレインログ、略してブログですと。
日記とブログの違いとはなんだ?

もしもあなたが楽しいと感じるブログがあるとすれば、それは極端な言い方をすると、ただの日記ではなく、その人の脳の日記と言ったほうが正しいでしょう。
その人自身に起こった出来事や行動ではなく、その人自身がその日に考えだした思考や考察、答え。それが面白いブログだと私は考えています。
つまり「今日iPad買ってきたぜー。」という、単なる行動の記事よりも「こういう切り口で書いたほうがiPadが欲しくなる人がいるんじゃないかな」という思考を巡らせて、「iPadを買った初日におこなった5つのチューニング」と書かれた記事のほうが、より面白くなるということです。
また、日記というものが小学生の夏休みからあるため、日本人の多くは「何らかの行動=日記」と体の芯まで叩きこまれている人は多いです。
その為、全国のお父さんお母さんは、夏休みにどこにも連れて行かないなんて日記が書けないじゃないという一連の連鎖が発生し、その姿をみて育つ子供たちは、あぁそうか、日記って何をしたかってことなのかとおぼえます。
小学校もそんなログを求めてバカなのかなと思うことがあります。
娘が言いました。
「毎日公園に友達と遊んだとかしか書くことないよ困った」と。
確かにその通り。毎日公園に遊びに行って、行動を主体とした日記なんて書くことありません。
そこでぼそっと私が言ってしまいました。
例えば間違って公園で砂を噛んだことない?→あるある
その時どう思った?→なんか気持ち悪かった。
味とかあった?→硬くてザラザラしてて気持ち悪いからすぐぺってだした。
そういう気持ちを書いたらいくらでも書けんじゃない?→ホントだすごい!
今日の公園で楽しかったことは?痛かったことは?そういうの考えて記録しておけばいんだよと。
実際にこの話を親戚にすると真似て言ってみるという人もいるんですけど、これだけじゃ足りません。
せっかく子供がこうした「考えや気持ち」を書くのだから、それを拾ってあげて始めて子供にとって「書くことの価値」が生まれるからです。
このまま学校にこの記録を提出しても、フィードバックが無ければなんの価値もありません。
親がそのブレインログから話しを広げてあげることで、日記に価値が生まれ、気持ちを共有できるようになり、楽しさが生まれます。これは親子交換日記にも似てますが、これは別の機会にご紹介します。
つまり、漫画でもイラストでもなんでもそうですが、書くことの価値とは、誰かに見てもらう事でより楽しくなるということです。
言い換えればそれがブログであり、もし日記とブログの境界線があるとすれば、それは誰かに見せるために加工したものがブログということではないでしょうか。
ではなぜ忙しい時ほどブログが書けるのか

さて、少し話が脱線してしまいましたが、そもそもブログとは行動を示すログではなく、頭のなかで受けた衝撃や感動、憤怒や驚きといった様々な考察の末、生まれる文章の塊です。つまり、単に何をしたかだけを記録する物はブログではなく、行動記録ということです。
実はここに大きなヒントがあります。
人間、何もしてない限り、頭を無理やり使うことはありません。それがダメなわけではなく、のほほんと休日を過ごすことも大切でしょう。
しかし、忙しい時はどうでしょうか。
休まる暇もありません。むしろ激務であればあるほど、何らかの形で次の一手を考えるようになります。
もう少し早く終るためにどうしたら良いか?
デザインのダメ出しをくらはないようにするにはどうするべきか?
プログラムにバグがなるべく出ないようにするためにはどうするべきか?
設計から?計画から?
次はどこかを見なおすべきか?
ストレス溜まった。息抜きしないとやってられん!
ゲームしようか、Twitterしようか、うちっぱなしでもいこうか、飲みにでも行きたいな。
当然の流れです。
人間、忙しい時ほど次の一手を考え、なるべく次に楽が出来るよう頭を使います。この時にこそ、多くの気付きが発生します。
問題点を見つける洞察が鋭くなり、解決案を模索する力が向上します。
もうおわかりでしょうか。
ブログがブレインログである限り「よし、ブログを書こう」と考え始めても、過去に脳が多くの刺激を受けていなければ、そこでいいアイデアが突然ひらめくのは難しいことなのです。過去に脳が経験した発見、気付きがあって、初めて直ぐに書けるようになると言うことです。
つまり、忙しければ忙しいほどこのきっかけとなるスイッチが豊富にあり、追い詰められている時のほうがネタが膨大に蓄積されていくと言うことなのです。
これが忙しい時は書けて、暇になると書けない最大の理由ということです。
最後に、普通のブログと面白いブログの境界線について
面白いブロガーさんの多くは、発見と気付きを得た瞬間にスイッチが入り「あ、これ書こう」と、その瞬間にアウトプットへの記憶が発生します。
お笑い芸人のすべらない話も良い例ですが、彼らは生活の中で一定の面白かった事を記憶しています。
さらに、日記とブログの違いで説明したとおり、誰かに話すために、話しを加工してお話されています。話の冒頭に何を持ってくるか、流れはどう説明するか、その状況を知らない人でも容易に想像出来る言葉はないか。
ブログも一緒ですね。
頭のなかにあるモヤモヤを、誰かにちゃんとわかるようにテキストに直す。加工する。こうした手間を加えているブロガーがやっぱり面白いブログを作っているんじゃないかなと私は思います。
別に一般的なブロガーがそんな面倒くさい事を考えて生活する必要など全くありませんが、そこにはきっとメリットはあってもデメリットとなるものはありません。あるとすれば睡眠時間の減少でしょうか。
頭でわかっていてもテキストに出来ない、と言うことは多々あります。しかし、もしもそれをテキストにすることが出来れば、自分の頭がスッキリとリフレッシュされ、私としてはこの瞬間に何らかの快楽を得ることが出来ます。例えそれが全く伝わらないような内容だったとしても、頭の中が整理されるのです。
私がこれまでお会いしてきたプロブロガーさんに共通する点を考えると、みなさん自分を追い込む一定のルールを持っている人ばかりです。一定の忙しい時間を的確に作る人達が多いのです。私であれば33分ルールとかね。また、アウトプットするべき情報は、インプットした瞬間に情報の整理を始め、頭の中で加工し始めます。
いざ書こうという時にネタを作るのではなく、既に作られているからブログを書く、というリズムを持っているということですね。
まずは発見や気づきを思い出してみてくだい。もし思い出せなければ、忘れていると言うことです。
今日経験した良い発見も、同じように忘れていきます。
ブログとは、それをログに残していくことで、自分があとから読み返した時、様々なメリットがそこに残っていくものです。
あなたの脳の活動記録、それがブログということです。
ただ、最後の最後に付け加えさせてもらうことがあるとすれば、忙しくて全く書けない状態というのは脳が完全に疲労困憊で心身ともにちょっとお疲れの状態です。いますぐ寝ましょう!休日には北海道の大自然に旅行に行くのもいいですよ!
それでは、また。