周囲に迷惑をかける自信過剰とはなにか?正しく自信をつけるための考え方
2013年06月07日 公開

あるお悩みをいただきました。
この質問において大きな矛盾があるとすれば、全てを一つに考え過ぎではないかという点です。普段から自信満々に物事を断言して頻繁に見当違いの発言をする人と、普段から自信がなく曖昧な発言が多い人ではどちらが信用されやすいのか。どちらが敵が多いのか。どちらが暮らしやすいのかな。
自信によって敵の数が変わるのか、答えはNOです。
それが暮らしやすさに直結するものなのか。答えはNOです。
この悩みの根源にあるもの。それはそのあとに付け加えられている
「前者を羨ましく感じる。前者が得をしてるのをけっこう見てるから。」という部分だと言えます。
さらに言えば、自分に自信がないことが悩み、もしくは自信をつける方法がわからない、そして、一歩前に行くことへの不安と恐怖がある、という事ではないでしょうか。
今回はこうした多くの方が抱える自分自身への自信の付け方を考えてみたい。
敵を作り、そして味方を作る行動
私は以前の記事にも書いたことがありますが、人に好かれたいとは思いますが、嫌われたくないとは思いません。
ここ、日本では特にそうですが、自分が一歩前にでれば、周囲から勝手に敵と思われるものであり、そもそも敵を作りたくないという考えを中心に生活をしたいなら、結局なにも出来ないまま終わってしまいます。
私ならその人達に好かれるためにあれこれ考える時間があれば、もう一歩前に出ることを考えます。その結果、味方が増えることのほうが多いからです。
また、自分の考えと真っ向から違う意見をぶつけてくる人を敵と認識する人もいれば、その人こそが強い味方であると考える人も居るでしょう。どれほど自分に自信があっても、こうした意見に耳を傾けている限り、自信過剰にはならないのではないかと思います。
もし自分から人を敵と認識する共通のポイントがあるとすれば、それは自分に対して何らかの危害を加えてくる人間に対して思うのではないでしょうか。
つまり、自信があるなしにかかわらず、敵を作るかどうかはまた別の話であり、これについては批判する行為を批判することの労力|ジャッジを恐れずに表現し続けることの楽しさで触れていますので参考にしてみてください。
世の中には、人の行動やヤル気に対してずかずかと入りこんできて、ヤル気を根こそぎ叩き潰して去っていく人もいます。そういう人は、ヤル気を叩き潰した事すら3分で忘れます。もちろん、叩かれた方は一生忘れられない事として記憶されたりもします。
しかし、人に「自分」を示すことで、そういうヤル気を叩く人とは、逆の人と出会うチャンスが劇的に増加します。あなたにヤル気を与え、モチベーションを与え、刺激をくれる人と出会えるチャンスが増えるのです。
表現することと暮らしやすさの関係
さて、どちらが暮らしやすいか、と言う観点から考えると、それは完全に人それぞれです。
自分がやりたいことが決まっていて、それに向かって一歩前に出るその時に、「これをしたら敵をつくってしまうんじゃ・・・」なんて考えてしまっていては、何時までたってもやりたいことなど出来るわけがありません。
そんな状況をとてもじゃないが暮らしやすい状況とは呼べませんよね。
逆に静かに目立たず穏便に暮らすことに満足を得る人もたくさん居るわけです。
つまり、どちらが正しいという答えを出すのはナンセンスではないかと思います。
自信はあったほうが良いのか、ないほうが良いのか
では、自信の部分についてはどうでしょうか。
自信は大きく分けると2種類あり、何の裏付けも経験もない自信と、勤勉やおしまない努力の結果得られる自信があります。
実は多くの場合、自信の裏には劣等感があります。
自分の弱さ、そして周囲の人間より劣っている部分を気にしてしまう。また、出来る人を受け入れられないという感情にも繋がります。
特に重要なのは、「周囲から認められる事の多い自信」のある人達は、自分と他人との間にある差を優劣だけで比べるようなことはありません。彼らの多くは、自分に出来ないことがあれば素直に教えてもらおうと考えますし、もしも自分が協力できることがあれば力をかそうと考えています。
言い換えると、何の裏付けも経験もない自信を持った人は、他人と自分との差に優劣を付けたがり、その部分に執着し、確執を作りたがります。つまり、悪い意味で自信過剰の人たちは、極端に自分に自信がないために、他人との比較をし、相手の落ち度のある点を探し回ろうとする人たちであると言えます。
さらに、周囲から認められたいという思いから、なんでも自分一人で抱え込み、自分で解決しようと考えがちになってしまいます。
自信をつける方法とはどんな方法か
多くの人は口をそろえて言うでしょう。
「出来ないことを出来るようになれば良い」と。
しかし、私はそうは思いません。
そやって努力し、人から認められることが出来れば自信がつくという一面もありますが、結局それは、自分自身が抱えている劣等感を消し去ろうとしているに過ぎないからです。出来るようになった自分を客観的にみて、以前より出来るようになったと確信することは、ひとつの劣等感を消し去り、ひとつの優越感を得ることに繋がります。
しかし、これが自信に繋がり、劣等感が全て消え去るのかと考えた場合、死ぬまで消える事などありません。
人は多くの人と関わりをもちます。あの人はここがすごい、あの人は本当にいい話をしてくれる。自分はここがたりない、よし勉強しよう。この繰り返しです。
何時まで経っても劣等感がゼロになることはありません。
つまり、自信のない人は、自分が出来ない事に目をやりすぎると言うことです。
逆に、自信のある人は自分にできることをやろうとします。また、足りないところは色々な方法で補おうとします。これが自信のない人とある人の大きな差ではないかなと思います。
自信のない人に、では今日から自信を持って生きてくださいというのは無理な話です。
では、どうすればよいか。
答えは「今の自信がないままの自分」でも良いと考えることだと思います。
自分に出来る事を、例えそれが人から見たらたいした事のない事であっても、自分をバカにしたり比較する必要などありません。それを精一杯取り組むことです。
自信を持とうと努力すること、それこそが自信が持てない最大の原因です。まず頭から自信というキーワードを切り離すことが重要です。
そもそもなぜ、人は自信について考えるのか
もしも、自信というものに対して考えた時
どうして「自信を持ちたいのか」を考えてみたことはありますか?
よくよく考えると、その理由は、他人との比較ではないですか?
もしそうなら、まずは他人と自分を分断してみましょう。
自分に出来る事はなにか、自分がやりたいことはなにか。その為に何が必要か、何を学ぶべきか。
自信をつけるために最も重要なのはそこではないでしょうか。
そもそも自信があるように「見える」人達は、「自信」について考えたことなどないのですから。
皆さんはどう思いますか?
それでは、また。