「湯川遥菜さんへの哀悼の声の少なさに違和感 海外からは疑問視の声」に疑問しかない
私個人としては、どちらが正しいかなど判断できるようなよく出来た人間ではないし、今は正しいと思ったとしても、それが結果5年後に悲惨な結果につながることもあるだろう。
例えば単純な話、身代金を払った結果、日本人は金になると思われるような結末もなきにしもあらず。
だから、こうした何をするのが正しいのか判断することが難しい事に言及するつもりはないんだけども、これらを利用して何かを大きく批判したいがために、とりあえず適当な事をいう記事がすごく多くなった気がする。
海外からは疑問の声しかない、なんてことはまずない
湯川遥菜さんへの哀悼の声の少なさに違和感 海外からは疑問視の声も
この記事の確信となる部分は、「追悼の声の少なさに日本に対してどうなっているんだという海外からの疑問視」だ。
つまり、海外からみた日本人は、少なくとも以下のように、自業自得などというネトウヨに近い人間になるべきではなく、国に捨てられた国民と捉え、日本人は考えを改めるべき、という内容だ。
おおよその内容に、正しいか正しくないかを付け加えるつもりはない。だとしたら、湯川さんがどういう意図でイスラム国にわたったにせよ、メディアは湯川さんが政府から受けた仕打ちをきちんと指摘した上で、その死を悼むべきではないのか。
いや、それは私たち国民も同様だ。安倍首相や田母神元幕僚長の熱心な支持者だった湯川さんの思想は私たちとは真逆で、むしろ、今、湯川さんを「自業自得」などとディスりまくっているネトウヨに近い。しかし、「国家に簡単に見捨てられた国民」という意味では、私たちはいつでも湯川さんになりうる。
だから、「I AM KENJI」とともに、私たちはこのメッセージを発信する必要がある。
しかし、この記事の核心となっている、「海外からの疑問」というのがあまりにも酷い。
この圧倒的不透明なソースは、誰が言っているのか、どこで言われているのか、たまたま海外のスタバで聞いただけなのか、マクドナルドでハンバーガーを食べていた時に、近くにすわった人が言っていたのか、それすらもわからない。
いや、確かに海外では様々な声が上がっているのは知っている。そんなものは日々海外のブログをチェックしていると見かけることだ。しかし、どっちの声もあるのは間違いない。疑問視している報道もあれば、正しかったと言っている報道もあった。というか、そんなことは海外じゃなくても日本でもおんなじだ。
つまり、海外という恐ろしく巨大な組織が、すべて疑問視しているなんてことは100%ありえないわけで、そんなソースを盾にただ、自分が言いたい事を、海外のせいにして逃げてるだけじゃないのかと言いたい。
こんな記事ばっかりだ最近。
付け加えると、この記事自体は、リテラで書かれたもので、その転載としてライブドア・ニュースに表示されている。この転載した人のまとめ方も以下のように海外という核心的部分を一番に持ってきてる。
私は、正しいものの反対もまた正しいと考えて生きているわけだけど、それなりに強いメッセージを訴えたいときは、それはあくまで私個人の考えとしてとして書いてきた。この記事はざっくり言うと
・殺害されたとされる湯川遥菜さんに関する報道に、海外で疑問が呈されている
・後藤健二さんの救出一色で、湯川さんの扱いの小ささが疑問が持たれている
・日本のネットでは、湯川さんの経歴をあげつらっての罵倒が浴びせされている
何度もいうが、海外という謎の定義を掲げるだけ掲げて、仮に炎上してもそれは「海外の声」のせいに出来るようにし、あとはこの繊細な問題に対して好きなだけ言いたいことだけ言って終わっている。
本当に胸糞が悪い。
また、これに便乗して、見殺しにした安倍晋三は腐っているから、今の自民党は腐っていて、自民党が政権を握っている限り日本はこれからもどんどん腐敗していく。「だからお金を支払わなかった安倍は今直ぐ辞任するべき」という、もはやテロリストのような考え方を平気でぶつけてくる。
別に自民党が腐っていて、安倍が今直ぐ辞任するべきという事なら好きなだけ言えばいいと思うんだけども、今回の問題を持ってきて「お金を払わないなら辞任しろ」って、テロが人質とって言ってるようなもんじゃないの?
少し考えたら同じこと言ってるってわかるよね?違うの?
とりあえずさ、言いたいことあったら「海外の声」みたいなスケープゴートなんて用意せずに、個人の意見としてがっつり言ってみたらいんじゃないかな。別に炎上したっていいじゃない。反対もあるだろうけど、きっと賛成派はその後きっと味方になってくれると思うけども。
敵も作りたくないし、別に海外の声を言ってるだけだから味方もいらないって、あーたそれ、PVほしいだけちゃうん。