あなたはなぜホームページを作るのか。ホームページを作る人はなぜそんなにも個性が強いのか。
2016年05月24日 公開

私はWEBサイトをしょっちゅう作る。
そういう仕事をしているからでもあるんだけど、ここはあえて「WEBサイト」ではなく「ホームページ」という単語を使おう。
世の中には、ホームページを作る奴と、ホームページを作らない奴の2種類の人間しかいない。
なぜなら、ホームページを作る奴は、誰に何を言われたわけでもなく、自分から勝手に学び、ほっといても作り始めるからだ。
これはもはや、遺伝子レベルと言っても良い。時間外まで残らせずに、さっさと定時に上がらせようものなら、ほっといたらプログラムまで学び始めることもあるだろう。
そして作る奴は、仕事があろうがなかろうが、WEBに何らかの爪痕を残し続ける。きっとこの先もずっとさ。
そう、仕事があろうがなかろうが作る奴はとりあえず作っちゃうんだ。
何故なのかというのを考えたことがなかったので、今回考えてみたい。
封印されし黒歴史
ホームページを語るためには、まず黒歴史から発表する必要があると私は考える。
なぜならおそらくこの遺伝子レベルのホームページ厨は、きっと小さい頃からの行動に、どこか似た接点があるんじゃないかと思うのだ。
ホームページを作る奴に今まで沢山会ってきたけど、基本的に仲良くなれる気がする。
きっとそれも、会話のどこかに厨接点がみつかるからだと思うわけです。
小学校の時、1,000円を握りしめて、たった2曲しか入っていないプリンセス・プリンセスの「ダイヤモンド」というCDが、実家を整理していたら出てきた。ジュンスカイウォーカーズのスタートとか懐かしくて震える。
奥の押入れの中には、ドラゴンボール3巻、10巻、24巻、26巻、そして最終巻の42巻が見つかった。
歯抜けなのは、母親の実家に電車で行く途中に買ってもらえる物だったからだ。
全巻そろっていたのはマキバオーで、後はどれもこれも歯抜けの単行本だらけだった。
この頃といえば、ダイの大冒険が人気だった。
もしダイの大冒険を小学校に見ている世代がいるなら、きっとみんなマアムのパンツに心を奪われている人たちばかりだろう。「フレイザード」よくやったと思っている人も少なくないはず。
そして私は鉛筆を手に取り、ダイのパクリ漫画を書くわけだ。
A4ノートに書いたこのストーリー性のかけらもない、ただひたすら魔王と勇者が戦うだけの漫画を学校に持って行き、数人が見てくれるという快楽が、漫画を書くという暗黒時代の幕開けを意味していた。
中学になると、思春期真っ只中となり、漫画を書く=オタク=恥ずかしいという気持ちが芽生え始める。
初めて自分がしたかったことを封印せねばならない年頃になる。
書きたい、表現したい、見てもらいたい、そんな思いは、青春とともに閉じ込められた。
そして大人の階段を登る
そんなこんなで年をとり、いざインターネットの世界に触れた時、そこにはオタクどもが跋扈し、自分が何物かどうかなど関係なく、単なるハンドルネームだけで自己をあらゆる手段で表現していた。
なんてことだ。こんな楽しい場所があったのかと。
私はこの喜びを共有しあう事ができる、伝説のサービス、チャットステーションというWEBサービスにはまる。
チャットルームがずらずらと用意されており、ただひたすら知らん人たちとチャットし続ける事が出来るサービスだった。
もしかしたら相手はネカマかもしれないが、毎夜しらない女性と思しき人と会話を楽しむ。
当時、仕事柄同じ場所にいなかった私は、PHSによるインターネット接続をしていた。
チャットステーションにハマった当初の通信請求額は月5万。しかも今みたいに、画像が一瞬で出る時代ではない。画像を読み込むのに、えらい時間がかかる為、手に入る情報量も少なかった。
でも楽しくなったその延長線上にあるのは、やはり自己表現の場だ。
私はホームページを無性に作りたくなる。
やはり黒歴史再び
自分の家、隠れ家、隠れ掲示板・・・
パスワード付きチャットルーム、隠し画像・・・
数枚の画像にパッチを宛て、お目当てのものが手に入る・・・・・
右クリック禁止、ソースの中のヒミツ・・・・・
そしてアンダーグラウンド施工。
よくわからない自作音楽、イラスト・・・・・・・もうライフは0だ。これ以上は流石に死ぬ。
なぜか黒い背景に、ホームなる謎の入り口だけのページが作られ、中には数個のリンクのみ。
今は、それぞれの単一ページがGoogleやYahooから検索されて、入り口なんてあったもんじゃないけど、昔はほぼすべてがリンクによる訪問か、URL直打ち訪問が主流だった。
だから入り口だけのページというものにも、一定の価値があったんだな。
そこは自由になんでも表現できる場だった。アクセスカウンターがカチコチ回るのが楽しくて楽しくて仕方がなかった。
なにより、検索ボット、当時スパイダーと呼ばれるクロールを避けるようにサイトを作っていたのに、それでも尚、このサイトを探しにやってくる人がいると思うと、背中がゾクゾクしてしまっていたわけだ。
人を遠ざける様に作っているのに、人に来てもらいたい。そしてそれがクール()。
こんな謎の暗黒時代はもう目にかかることはないだろう。
自己表現、という意味では、私が何者なのかというのはほとんど関係のない世界だとつくづく思っていた。今でも私は名刺を持たないし、私に興味のある人はそうそういないだろう。一つのひも付けとなるハンドルネームがあれば、現実の私のことなど実際どうでもいいのだ。
このブログにしてもそうだ。私が家で朝、コーヒーを落とし、リラックスしている姿が短パンとTシャツをきたおっさんであろうと、毎日せっせと学校に通う学生であろうと、大差はない。
もしリアルの私でブログの評価がわかるとすれば、私が美人かどうかくらいじゃなかろうか。
さて、そんなことを考えていくと、自ずと一つの答えが見つかる。
ようするに自分表現が好き
結局のところ、少なくともWEB屋という生き物は、自己表現が好きだってことだ。その表現方法は人それぞれだ。単に髪が赤い奴もいれば、ピンクのやつもいるし、自作音楽をUstreamに流す奴もいれば、ブログを書くやつだっている。ソースコードを公開するやつもいれば、無料写真を提供するやつもいる。
勿論、芸術活動や音楽活動をしているけど、ホームページ作成には興味がないっていう逆パターンは存在する。これは別に変わったことではない。
でも、少なくともホームページを作る奴は、間違いなくなんらかの自己表現好きと言っても過言ではない。とにかく個性が強い人が多い。
だからそんな作る人はみんな、なんだかんだ言って打ち解けられる。時には打ち解けすぎてぶつかることもあるし、思い切り表現方法が違いすぎて相反する人もいるけど、作らない人と作る人の世界は違うものになる。。
もし、君がホームページを作りたい、いや、WEBサイトを構築したいと思ったなら、それはきっと、君自身になにか人に届けたいものがあるからなんだと思う。
でも安心して作ると良い。
君が作る人なら、きっともっと多くの作る人に出会えることになるだろうし、彼らも彼女たちも、みんな自己表現が豊かな人が多いから、きっとすぐに打ち解けることが出来るだろう。
いまだったらHTMLすら学ばずに表現する場が持てる時代だ。遠慮はいらない。
悩む暇があったら恥ずかしがらずに今すぐ作ってしまえばいい。その時点で君はもう、立派な「作る人」さ。
それでは、また。