テクノロジーとともに手紙とポケベルと昔の私を振り返る
2019年04月15日 公開

ポケベルが鳴らなくて。
1993年のドラマのタイトルです。
なんと悲しいタイトルでしょうか。
LINEが鳴らなくてと同じ感覚です。
その主題歌のタイトルも同様の名前が付けられ、私の世代では、かなり有名なキーワードとなったのではないかと思います。
ドラマの内容を適当に紹介すると、不倫がドロドロに進み、ポケベルが鳴らないため家庭が崩壊していくというそんな内容です。
随所にポケベルが登場する重要なアイテムであるかのような内容ですが、LINEの既読がつかなくて家庭が崩壊いくが、結局は不倫するから崩壊するのであって、当時もポケベル全く関係なくねと言われていたドラマです。
さて、今回は何か一つのテーマに絞るとすれば、それは「テクノロジーとともに昔を振り返る」というあまりにも大きすぎるテーマになっています。
そのため、最後まで読んでも、中身がいつも以上にスカスカだったという事になるかもしれませんが、それはもうポケベルが鳴らない事が原因で家庭が崩壊するドラマを冒頭で紹介している時点で察する事が出来ると思いますので、引き返すなら今だと思います。
それでは、行ってみましょう。
趣味の合う見知らぬ人との通信手段
多くの通信手段として現在LINEやfacebookメッセージ、ツイッターのDMがあります。
知り合ってしまえば、Skype、Googleハングアウトなどもあります。
私の幼少期から、おそらく中学3年までの間に使っていた通信手段は手紙です。80年代は、手紙時代と言っても過言ではないでしょう。
そもそも当時はインターネットを閲覧するためのデバイスが各家庭にありません。
パソコンも、もちろんスマホも、なんならケータイもポケベルもないのです。
ここで一つ、もし当時を知らない人がもしこの記事を見ていたなら、想像してみてほしい。
遠く離れた全く知らない人と、しかも同じような趣味を持つ人と、一体どうやったら手紙のやり取りが出来るようになるのかを。
これ、当時は多くの人が、見知らぬ人と手紙のやり取りをしていたんですよ。
実はそこらへんの雑誌を買うと、だいたいどの雑誌にも一部ペンパル掲示板というページがありまして、そこに文通相手募集という名目で住所、名前が書いてあったんですね。今では考えられませんよね。全国版の雑誌に自宅の住所をみんな公開してたんですよ。
普通に住所と名前と年齢と、なんなら趣味まで書いてあるんですよ。だから直接その人の家に手紙が送れるわけですよ。
文通友達のことをペンパル、ペンフレンドと当時は言っていたような気がします。
小学生4年だった私も雑誌の一部のコーナーだった掲示板から、ネコ好きな小学5年生の女子とペンフレンドとなりました。名字が非常に特徴的で、恐らくかなり珍しい名前だったと思います。
多分その名前に惹かれて手紙書いた記憶があります。
確か小学6年までの2年間、手紙のやり取りをしていた記憶があります。小さい頃の家は猫屋敷だったので、写真を送ったりなんだりしていました。
当時はその子の名前すら可愛く感じ、会ったことも話したこともないその子が好きでした。
ただ、やはり現実に目の前にいる人の方が好きになったので、手紙の返事もだんだんと面倒になり、特に最後の挨拶もせずに、一方的にやめてしまいました。その後、心配してくれたのか2通ほどきましたがスルーしました。
恐らく既読スルーよりも、50倍くらい罪なことです。1通書くエネルギーとレターセット代と切手代がかかってるわけです。ごめんなさい。
「住所」という概念の変化
この時代は手紙時代なので、メールアドレスなんて存在しませんし、SMSもないし、SNSなんて間違ってもありません。
今でいう相手を示すアカウントの扱い、それは住所でした。
写真を送りたいと思ったらLINEでポイの代わりに、住所と名前が必要なわけです。
プロ野球選手だった長嶋監督の自宅に爆弾を設置事件でご存知の方もいると思いますが、当時の販売されていた野球選手図鑑には、プロ野球選手の住所と名前が全部掲載されています。ファンレターを送るためのシステムでした。
しかしながら、多少問題はあったものの、今ほど大問題になることはありませんでした。
でね、ちょっと現代に戻りますが、2019年3月に『破産者マップ事件』がありました。
概略を簡単に表すと自己破産者の住所を含む個人情報をGoogleマップと連結させてみれるようにしたサービスをリリースしたら大炎上した事件です。
そもそも自己破産した人の住所を含む情報というのは、調べようと思えば、図書館や大学・インターネット上で誰もが官報から自由に知ることの出来ます。
官報とは
この公開されている破産者の住所を全て、Googleマップ上に投影したサービスが「破産者マップ」であり、作者は公開されている情報をどう使おうが問題ないという姿勢を取っていましたが、弁護団が出来た頃には、検索性もなくとにかく使いずらい官報のデータが整理され、誰でも見れる状態にすることはプライバシーの侵害になる可能性が高いという流れになり、サイトは閉鎖されました。
破産者マップ事件 - Wikipedia
これ、もちろん時代とともに官報のあり方も変わらなければならないのに、変わらないからこんな問題が起きてしまったのだと思います。
なぜ変わる必要があるかというと、単に検索もしにくい官報に記載された住所リストが、Googleマップに反映された瞬間に、今までそんなものに興味もなかった人が手軽に見れるようにもなり、全く異なるコンテンツへ変化するためです。
というより、インターネットがある程度普及するまで、「地図」というものが一般的ではありませんでした。少年時代の私は、ちょっと街に出ただけで5分で迷子になります。そんな時代だから、遠く離れたあの子の家が何処かなど想像もできないし、行ってみようなんて気も起きないわけですよ。一度迷子になったら人の手を借りないとどうしょうもないですからね。
ところが今ならスマホさえ持っていけば、確実に目的の住所までたどり着けます。迷子になろうがGPSがあれば復帰できます。
このテクノロジーの違いが、「住所」の概念を大きく変えざる得ない状況にしてしまったわけですね。Googleマップというとても便利なツールが、手のひらサイズで持ち歩けるようになった時点で、住所の公開リスクが格段に上がったわけです。
もちろんリスクの上昇には、SNSの存在が一番大きいです。そもそもですが、ネットがなければ、特定の個人住所が色々な人に知れ渡るリスクなどもありませんよね。
手紙のやり取りをしていたあの子と何らかの喧嘩をして、その手紙をSNSで拡散させられ、住所と名前も書いてあるなら、明日には私の近所に住む友達がその情報をキャッチし、なんなら手紙の内容をバカにされたりします。
例えば今、会員登録で当たり前のように使ってる住所の入力も、連絡手段ならLINEやSNSがあるのですから、通販以外の住所入力は、当たり前のようにやめるべきではないかと思います。2018年は、過去のバイト先に提出した履歴書を公開させられたアイドルもいましたし、ビデオ店に会員登録で提出した住所をもとにそのバイト店員にストーキングされた女性もいました。
いろんなところに記入を迫られる住所の扱いは、ちょっと時代のズレが出始めちゃってるかなと思いますので、別の中に何かに変わるべきだと思います。
手紙の時代はポケベルの時代へ

ポケベルは1985年から存在しましたが、一般化したのが90年〜95年です。
この辺りから、ようやく「待ち合わせ」の概念が変わり始めました。
手紙時代は、一歩外に出ると、その人と連絡を取る手段が一つもありません。
だから待ち合わせ場所も、双方が理解し、わかる場所が必要で、更に言えば時間もきっちりと事前に約束しておかなければなりません。
恋人と会うために街に出る約束をしても、それぞれが一歩外に出ると、もう連絡を取り合う手段がないのですから、例えば待ち合わせを「デパート」に設定しただけでは、西口と東口でずっと待ってなきゃいけないし、下手に動くとその時すれ違ってしまうこともあり、動くに動けないし、結局会えないままその日が終わるなんてこともある。
そもそも相手に何かがあって、急に来れなくなってしまうこともあるが、それを知るすべがない。だから待ってても現れないので早く帰ってしまい、自宅から相手の自宅に電話してもでない場合は、早く帰り過ぎてしまったのだろうかと心配になったりなんだりと、とにかく待ち合わせ場所のズレは悲劇の元になるくらい大きな問題だったわけです。
そのため、現代よりもはるかに約束の時間というのはとても重いものでした。
当時のドラマでも、こういったほんの少しのスレ違いをよく表現していました。
見てる側からしてみれば、後ろ!後ろ!後ろにいる!ってなるのだがそこに気づけないために、家庭が崩壊したり、不倫に走ったり、彼女を取られたり、遠距離がうまくいかなかったり、仕事がうまくいなかったりするシーンがしょっちゅうありました。
その救世主として登場したのがポケベルです。
何と公衆電話さえあれば、一度外に出て連絡不能になった人に12文字の数字を送信することができるという優れたデバイスが誕生したのです。
ただ、この当時にも携帯電話は存在していました。

が、3kgを超える巨大な重量物で、お値段も本体20万、月額基本料金26,000円と、高校生が持っていい代物ではありませんでした。
私の時代では高校1年の秋にようやくポケベルを持つことができました。
これがあればわずか12文字の数字でも、待ち合わせの難易度が一気に下がります。
数字をあらかじめお互いがわかるように言葉を決めておけばいいのです。
ただ、自分たちで決めたメッセージの暗号ルールは1年足らずで変化しました。
初期の頃は、文字数が少なかったのもあり、語呂合わせが多かった。
「114106」= アイシテル
「11014」= 会いたいよ
「3470」= さよなら
当時インターネットがないので、こういうのは雑誌から仕入れた知識だったが、逆にネットが無い分、ほとんどの人が似たような雑誌を見るので誰にでも通用する暗号だった。
少し時代が進むと、2文字で1ひらがなの意味を伝える方法が使われ始めた。
「11」なら「あ」
「12」なら「い」
「32」なら「し」
「44」なら「て」
「93」なら「る」
という具合です。
ひらがなを2文字の数字で表すので、12文字の数字は6文字のひらがなで意思を伝えることができるわけですね。
高校2年あたりから、ポケベルも進化し、文字数が数字24文字、50文字と増えていきました。最終的には今まで暗号として勝手に使っていた数字からのひらがなも、自動的に変換してくれるポケベルが登場しました。
この頃はもう日常的にポケベルでメッセージを送り合うようになります。
送り合うといっても、正しくは送る側には公衆電話と10円が必要なので、例えば学校での昼休みに、違う学校の人と付き合ってる人がいると、学校の公衆電話付近に人が群がったりしたわけです。
こうした日常が1年も続けば、メッセージを送る速度も人知を超え始めます。
まして公衆電話のプッシュボタンは、携帯のそれよりも打撃感がすごいので、当時の女子高生は、まさに北斗百裂拳と呼ぶにふさわしい指さばきができるように進化していました。
ポケベル、時々ピッチ
1995年に登場したピッチ、いわゆるPHSですが、すでにPHSというサービスが息をしていないため、いわゆるPHSと言ったところで通用する人は少ないかもしれません。
難しい話は一切置いといて、一言で表すと、ほとんどのエリアで圏外になる通話料も基本料も安い携帯電話です。でもガラケーとは呼びません。あくまでピッチです。
これまで紹介した時代背景を見てもらえればわかる通り、公衆電話からポケベルへのメッセージしかできなかった環境が大きく変わります。
PHSの電波が息しているところからメッセージが送れるようになり、ポケベル宛に「テル下さい」とメッセージを送れば電話を待つ事も可能になります。
「え?電話同士通話しないの?」
という気持ちもわかりますが、まだ相手がポケベルのままという時代なので、あくまで通話が成立するのは、ポケベルを介した、ピッチと公衆電話でした。
ただこの時代はすぐ終わりを告げます。
ようやくガラケーが比較的安い価格で登場するからです。もちろんピッチの方がはるかに安いですが電波が全く別物で、通話できる場所が多いというアドバンテージが、ガラケーを大きく普及させる結果となっていきました。
そしてガラケーには、メールが付いてきました。このメールこそ、次のLINEが誕生するまで、長いこと使われ続けたメッセージツールとなります。これこそがガラケーの発展を支える一つの時代変化となります。
また、ようやくこの辺りでWindows 98が世の中を独占し始めます。
と言ってもハードディスク容量5Gでメモリ128MB程度のスペックでも30万くらいしました。
ディスク容量5Gって今考えてもすんごい少ないですよね。
ただしネットがあっても回線速度がヤバイ
今、光回線では1000Mbpsなるものがあるが、この契約はあくまで最大値であって、地域によっては100〜300Mbpsしかでないのが一般的ではないでしょうか。
もっと身近なものでいうと
スマホの4Gでは150Mbps
3Gなら42Mbpsです。
今の皆さんは、4Gは使えるが3Gはゴミ、そう思っている人も多いのではないでしょうか。
3Gは4Gよりも3割の速度しか出ないからです。3倍違うだけで体感速度は全然違いますよね?
さて、では当時一体どれくらいの速度だったのだろうか。
この当時のネット回線は、0.0144Mbps(14.4kbps) だった。
つまり4Gは当時の回線の10,416倍
3Gですら当時の2,916倍速いことがわかります。
理論上、あなたが3G回線のスマホで見て表示するまで5秒かかる画像を、当時のパソコンとネット回線で見ようとしたら4時間かかるということです。
流石にそこまでは嘘でしょーと思おうかもしれませんが割と本当です。
ただ、画像を落とす(見る)のにそんなに時間がかかるということは、アップロードする方はさらにかかります。そのため、そもそも現在のような綺麗な画像を、インターネット上にアップするような狂気じみた人はいません。
画像を劣化させたり、小さくしたりしてアップします。なので、当時であっても5分あればそれなりの画像は見れるのです。
要するにネット上にある画像がそもそも小さいサイズが多かったということです。もちろん動画なんてもっての他です。
じゃぁこの頃ネットに繋げて何するのというと、多くの場合チャットだったと思います。
チャットステーションと呼ばれるブラウザで複数人とのチャットを楽しむサービスや、今でいうYahooメッセンジャーや、スカイプといった、アプリケーション同士で楽しむチャットソフトが流行っていました。
チャットソフトのICQでID交換しあい、知らない人と夜な夜な会話するとか死ぬほど流行ってましたね。ICQのID交換掲示板とかで普通に交換し合ってました。やってることは文通と変わんないんですけど。
結局テキストは軽い。軽いは正義だったのです。
それまでは電話料金+プロバイダ料金が従量制だったため、3分10円〜30円かかってました。プロバイダ料金は定額が増えつつありましたけどね。
それでも、当時存在していた23時から朝8時まで通話料が無料となるテレホーダイというサービスがあり、通話料が無料になる=ネットし放題という超絶便利なサービスがあったため、23時までネット我慢すれば低価格で楽しめました。
ISDNと常時接続の誕生により一気に時代が変わっていく
そんなとき、ISDNと、常時接続サービスが誕生しました。
常時接続サービスはほとんどが10万超える中、OCNが38,000円でサービスを提供して話題になっていました。
先ほど記載した通り、3Gから見て4Gは3倍速い。それだけで十分速さを感じられるはずですが、当時の14.4kbpsからISDNは64kbps、128kbpsまで進化。
4.5倍以上早くなったわけですから、そりゃもう当時死ぬほど歓喜しました。
あんな画像やこんな画像も5分待たずとも1分で見れるわけですからね!!
画期的なのはそれだけではありません。
従量制ではなく、定額制サービスが誕生したのです。
ここからようやくネット人口が爆発します。
インターネットの歴史
1996年、Yahoo!Japan誕生 まだ14.4kbpsの時代。
日本のインターネット人口は3.3%。
1997年、常時接続サービス「OCNエコノミー」月38,000円誕生
日本のインターネット人口は9.2%
1999年、ADSL誕生、2ちゃんねる誕生
日本のインターネット人口は21.4%
多分この1998年から1999年にかけてが私の人生の転換期だったかなと思います。
1998年web制作デスマーチレポート - ホームページを作る人のネタ帳 デスマーチレポ2『完結編』そこで学んだ仕事に対する10の考え方
1999年人生のデスマーチレポ『運命の人よ』
2000年、Googleが日本語による検索サービス開始&Amazon.jp誕生
日本のインターネット人口は37.1%
2003年、光回線が登場
日本のインターネット人口は64.3%
(インターネット人口:日本のインターネット歴史より)
この2003年でも随分昔と言えるのですが、この年からずーーーーーーーっと今まで、まさに今日も、ネットにログ、アウトプットを残している個人がいるんですよ。それがネタフルっていうブログなんですけどね。
http://netafull.net/
継続力がいかに凄い事か興味があったらのぞいてみてくださいね。
検索が劇的に変わる2000年
しれっと2000年にGoogleの日本語検索が開始と書きましたが、ここでも一つ時代が動きました。
それまでの検索は2種類ありました。
一つはYahoo!検索を代表とするホワイトリスト型検索エンジン。
これは、サイト側がYahooに申請をして、Yahooが審査をして登録する仕組み。
Yahooの中の人が認めなければ、Yahooで検索しても見つけることはできませんでした。
(現在のYahooはホワイトリスト型検索ではありません)
インディクス数の絶対値が少ないため、目的の情報の信憑性もよくわかりませんし、綺麗な情報しかYahooは認めませんので、探したい情報は偏るしかありません。
もう一つがスパイダーボット型検索エンジン。当時は「goo」という検索サービスがこの代表でしたが、このスパイダーボットは、特定のキーワードが含まれていれば全て、どんなページであろうと引っ張ってきました。
もう馬鹿検索です。例えば掲示板とかだと、そんなキーワードが会話で使われていたら引っ張ってきますし、ページの下に適当にキーワード突っ込んでおけば引っ張ってきます。
死ぬほど馬鹿です。検索したら10ページ全部2ちゃんねるのスレッドとかしょっちゅうありました。もう馬鹿すぎて馬鹿すぎて驚きを隠せません。
そのため、当時はYahoo検索にもない、アンダーグラウンドという世界がネットにありました。
必要な情報や美味しい情報、エッチな情報、ネットについて詳しく知りたいなら、まずは雑誌を買ってアンダーグラウンドの入り口を知ることから始まります。
入り口がわかれば今度は自衛手段を学びます。
その辺を武装もせずにネットサーフィンしていると、普通にウイルスに感染します。普通に。
なので、本当に良い情報というのは多少のリスクを負って手に入れなければならない時代でもありました。
そもそも良い情報を公開したからといっても報酬が発生するような時代でもありませんので、純粋にインターネットが楽しい、そういう人たちが集まり、アンダーグラウンドを構築していったので、仕方ないといえば仕方ありません。
目的のものが一切探せない、良い情報はアングラサイトのリンクを辿った先にある。そういう時代が2000年までずっと続いたのです。
Googleがすごすぎてヤバイ
アングラの世界でGoogleヤバイというキーワードが連日出るようになりました。
それまでネットの影でこっそりと運用していたはずの有用な情報を含むアングラサイトが、Googleで検索するとヒットするのです。
リンクをたどる必要もなく、まして危険を冒すことなく、検索で一発で探せるようになりました。今までYahooから与えられるだけの情報が自分達で必要な情報を検索できるようになったのです。
これはもう革命以外ありませんでした。
ただ、パソコンの使い方がわからない人がブラウザを開いたら、まず間違いなくYahooがトップになっていることが多かったので、Yahooの人気は揺るぎないものでした。
Googleを使う人は変人、そんな時代がありました。
ここからGoogleのシェアは少しずつですがYahooを食っていきました。
そろそろ終わりますがこの記事を書くきっかけ
ここからガラケーのケータイサイトの時代背景、スマホ時代へと行こうと思っていましたが、思った以上に何が伝えたいのかさっぱりわからないまま行きそうなので、ひとまず昔話はこの辺で終わろうかと思います。
なんとなく昔を振り返りたい時もありますよね。
実はこのきっかけとなったのは、2015年の福岡の出来事でした。
私はとあるセミナーを行いまして、その親睦会の時、とても珍しい名前の女性が参加者として参加していました。
すぐに分かりました。
私が小学校4年から2年間、手紙を書いていた相手ではなかろうかと。
ただ、こちらからはもうどう考えてもその人だと思ったのですが、なんせネタ帳の人って「Yamada_nt」でそのまま仕事も請負ってるくらいなので、請求書を発行する時以外、セミナーでも本名明かすことがないんですよ。
だから向こうはわかってなかったと思うんですね。
それとやっぱり小さいながらに感じた罪の意識から、その場で聞いてみる事も出来なくて、その時はそれで終わったんです。
ところがこの業界、狭いものでして、先日札幌で行われたセミナーで偶然にも出会ってしまいまして、そこで初めて打ち明けたところ、やっぱり当時の人だったということが判明し、今に至ります。
いやぁ・・・ほんと色々と思い出させられました。
というわけで今回はそんな昔を振り返るだけの記事となりました。
ただ、書いていて思ったのが一つだけ。
その昔、アンダーグラウンドのサイトを見る時は、JavaScriptはオフにするというのは常識でした。
ONにしてて良いことなどまずありませんでしたし、PCのスペックがポンコツだからそれこそブラクラなんかされた日にはPCがフリーズするわけですよ。
ところが現在、JavaScriptでアラートを無限に出されたところで、PCが壊れるなんてことはありません。そもそもブラウザをクラッシュさせるほどのJavaScriptなどもう無いに等しいです。それはPCのスペックが時代とともに向上したためです。
にも関わらず、日本のサイバー警察のレベルは全く成長していません。それどころか、全く見当違いな検挙が多すぎると、
海外からサイバー警察のレベルの低さを笑われている。残念ながらこれは事実です。
Coinhive事件や無限アラート事件など、常識的に考えて注意程度のものが逮捕される事態にまで発展するようになった。
無限アラート事件については、JavaScriptの生みの親ですら犯罪では無いとツイートしている。
テクノロジーが進化すればそれぞれのユーザーの行動も変化します。もちろん考え方も変化します。
官報からの破産者マップも然りだと思います。こうした時代の変化に、柔軟についていけるよう頑張って欲しいなと思います。
こんだけ書いて、最後がそれか。たまには許して。
それでは、また。