1998年web制作デスマーチレポート
でも触れられていますが、制作にはデスマーチがつきもの。
皆さんにも一回二回は経験があるのではないでしょうか。
今回は私の恥ずかしい思い出といいますか、実際に19歳頃に体験したweb制作現場レポを書き上げてみました。どちらかと言えば、私の場合はブラックな会社を設立してしまったわけですが・・・。
一人でいきがっていたあの頃。
回りの企業はみんな敵と思っていたあの頃。
ホームページなんて楽勝ジャンと思っていたあの夏のお話です。
一応言っておきますが、長いです。
※わりとweb制作のデスマというよりも、人生のデスマレポになってるかもしれません。
高値の商品だったホームページ
当時、暑い夏だった事を覚えています。
もう倒産しましたが、その当時は7人で有限会社を起業してweb制作にいそしむ毎日でした。
はっきりいって7人も舵取りがいたら会社を運営するのは非常に困難だと今になって思います。
通常のwebサイトの価格は、実においしく、単純な計算ですが10ページほどの規模のwebサイトで60万くらい貰っていました。
さらに、維持管理費用が月額15000円。
ページの変更、追加に30000円貰ったりもしていました。
まぁ当時はサイトの価格なんてものが全くわからないでいましたし、それで仕事をとっても誰も何も言わないほど、制作する会社が少なかったという状況でした。
当時のスペック
使っていたPCはなんとノートPCで、128のメモリとCPUセルロン400程のポンコツPCでしたが、当時は27万もしたんです。
使っていたツールは『ホームページビルダー』です。
それまでHTMLで直接作っていたので、出来上がるページは全く光沢のないサイトばかりでしたが、ビルダーと出会ってからというもの、テーブルによるレイアウト作成が楽しくてしょうがなかったという記憶が今でも残っています。(今でもCSSが苦手なダメ人間ですが)
また、画期的な出会いだったのが、ビルダーに同梱されているwebアートデザイナーでした。
画像を簡単に作れるようになり、いろんなアイコンを作ったりして楽しんでいました。
当時は殆どのユーザーが一般アナログ回線だった為、画像の多様はできないし、重いからという理由で、どの画像を残すかなどを考えたりもしていましたね。
同様にFlashも作ったりしていましたが、それは別の担当がいたので、私はその時は一切触れませんでした。
また、プログラムはcgiとJavaScriptを使っていましたが、その殆どは『無料で使えるサンプル本に収録されているフリーソフトに毛を生やす』ようなやり方で、1から作り上げるだけの根性も無ければ、知識も持っていませんでした。
そんなある日、とある大企業から、現在であれば400万クラスのweb制作の依頼がやってきました。
現在400万クラスのものを当時100万で受けた者がいました
営業と制作が別々だったのと、価格がぶっちゃけ誰一人よくわからない状態だった為、このようなデスマーチフラグがたったわけですが、なんとまぁすごい戦いの日々が始まる事になりました。
依頼スペックは以下の通り
- CMSという考えは当時無いた為ページ数は単純に200を超える
- 商品販売をする為のショッピングカートが必要
- オリジナルの掲示板が必要
- Flashによる多段メニュー表示がトップページに必要
- その他Flashが5つ必要
- もちろんアクセスアナライザも開発必須
- スクラッチゲームをつけてあたればポイントが換算される仕組み
- 折り込み広告にURLをいれるらしく、納期が2週間
200ページ中、180ページが、商品ページな為、テンプレートが一個出来れば終りだよね的な考えでこのような価格でもいけるなどと考えたわけです。
なんせ当時はフレームバンバン有りの時代でしたから、そういう意味では楽に考える事が出来たんですね。
そして、とりあえず制作がスタートしました
M氏(23歳男性)がプログラムを作り、K氏(29歳女性)がFlash。
私がwebページ作成という具合です。
トップページのデザインカンプが決まり、顧客に見せに出発。
自分なりにいけるなぁなどと思ってましたが、見事に撃沈して帰ってきました。
理由は赤い色は使わんでくれとの事で、パステルカラーに色合いを落として、再度検討してもらいましたが、影を上手く使ってくれとの要望。
当時の私には、HTMLで影ってなによ見たいな感じで、さっぱり意味がわかりません。
そこで、そういう影のついたサイトのURLを教えてもらって、確認したところ、どうやら画像をふんだんに使ってインパクトのあるトップページにしてほしいらしい。
webアートデザイナーを触りたての私にとっては超難関でしたが、ビルダーには影ボタンがあったため、なんとなく制作はできました。
ただ、サイト全体を包括するイメージを統一し、それらの画像を上手く使うという作業は時間が掛かりました。
また、GifとJpgとBMPの違いを知らないアホでした。
イラストをjpgで作ったり、写真をgifで作ったり。
トップページが表示されるまでにアナログ回線で36秒掛かる愉快な状態になりました。
これはヤバイと思い始める。
Flashもやばいことに
K氏は、基本的にアクションスクリプトを殆ど書けませんでした。
つまり、動きのあるアニメーションなどは簡単に作れるのですが、ボタンやメニューなどを複合して作った事がありませんでした。
また、当時の貧弱な回線では、必ずと言っていいほど、『NewLoading』が必須でした。
最初にある程度読み込んで表示させなければ、かなりきついのです。
それすら、4日たっても完成するめどが立ちません。
これはマズイと思い始める。
プログラムもさらにやばい事に
『4日たちましたけど、Mさんどうですかそちらは』
『大丈夫大丈夫。とりあえず掲示板いいの見つけたから』
『これは・・・』
著作権有りのフリーーーソフトーーーーーー!
どうやら著作権は消さないで、フレームにぶち込む予定らしい。
クライアントは、トップページであれだけ言うのだから、たぶんというか、絶対通らないだろうと思いましたが、私は私でやらなければならない事も有り、華麗にスルー。
とりあえずトップページデザインを『ローカルで確認していただき』5日後にOKを頂きました。
次は商品ページなどの作成作業を開始したわけですが、顧客から貰った商品写真は数点で、全てこちらから撮影しに行かなければならない状態に見える。
営業に確認をとっても、まさにその通りで、やば過ぎる。
どう考えても当時のチームの技術では不可能に近い事を受注してしまっている上、写真撮影や、顧客が若干詳しいというところが、さらに最悪の事態へ進む。
営業のT氏(26歳男性)に、納期がかなりヤバイので、クライアントに納期をさらに3週間延ばすように言ってくれとお願いをした。
7日経過、そろそろ光が見えてくる頃
納期の半分を経過。
いつもならそろそろ光が見えてくる頃だけど、はっきり言って闇の中。
プログラムを担当していたM氏は、やっぱりオリジナルじゃないとダメということで寝ないで作りこんでいる。
そもそも最初に使ったプログラムはフリーソフトだけど商用利用不可だったようで、話にもならなかった様子。
K氏はようやくLoadingが完成。
一日の半分以上は『勉強』という状態で、制作が追いつかない。
30時間仕事して5時間寝る様な生活だったけど、それなりに楽しかったのを覚えています。
しかし、ここから、さらに状況が悪化する。
営業、お金を持って消える
web制作云々の話を通り越した。
とあるイベントでその月のみんなの分の手当てを稼ぐ予定だったのが、イベントが終わり次第忽然と姿を消しました。イベントの売り上げと、会社のプール金と一緒に。
つまり、各自バイトでもしない限り、結構ヤバイ状態になったのです。
プログラム制作の担当者がバイトを始めて、その負担が全て私に。
Flash担当者は、貯金が結構あるらしく、平気な顔でFlash制作をいそしんでいました。
ここから、不可解な事が社内でおこり始める。
私の横に、なぜかアルバイトがいる
なぜだ・・・。
なにかおかしい。
そもそも我々の生活費がきつくなってアルバイトまでしている『役員』がいるにもかかわらず、何故に私の横に何の協議も無く採用された『PhotoShopマスター』がいるんだろう。
S氏(37歳男性)が雇ったようですが、彼が営業の穴を埋め、アルバイトがデザインの穴を埋めるらしい。
何かがおかしいけど、19歳そこそこのアマちゃんだった私には考える余地はない。
なんせプログラムと、ページを作らなければならない。
とりあえず制作者として、受けたものだけは完成させなければならない。
デザインの編集は全てアルバイトに丸投げし、ページ制作とプログラム開発に集中。
当時はもうそれだけを考えて動いていました。
とりあえずスペースが入っただけで全く動かないcgiという存在が憎くてしょうがなかった。
実際は私が悪いんですが。
そして10日経過
トップページのFlashが完成した。
その時はたしかに、すごいなぁくらいにしか思わなかったけど、今思えば、恐ろしく短期間であれだけのアクションスクリプトを覚えたのかと思うと、結構人間離れしている人だったと思う。
70ページとFlashを組み込んだトップページとを、webにアップロードし、動作確認。
トップページが表示されるまで40秒以上掛かる。
でも、アルバイトが神になった。
『これ、画像形式変えればかなり落とせますよ』
アルバイトにトップページの画像全てつくり直してもらうことに。
ただ、この時点で悟りました。
納期無理だと。
営業に納期を延ばすようにお願いをしていましたが、消えてしまったと言う事は、もしかしたら伝わっていないかもしれないと思い、新しい営業にお願いしました。
案の定伝わっていなかったらしく、折り込み広告のストップはもう出来ない状態。
自分の会社の経営状態とか、よくわかっていなかったというか考えてもいなかった若造ですが、制作する納期だけはきちっと守らなければと思い、残り4日間で、なんとか200ページ作ろうと死ぬ気で頑張りました。
たぶん生涯で、あれだけ死ぬ気になったのはあの時だけだったと思う。
その時の経験は確かに私の財産となり、無茶苦茶なスケジュールと技術が追いつかない仕事は、顧客にとっても、こちらにとっても、全くいい事が一つも無いという事を学んだからです。
トップページの表示時間が10秒以内に収まる
Yamadaは学びました。
画像形式の違いと、jpg圧縮のすごさを。
納期まであと1日。
完成したページは160ページほどでした。
完成した掲示板はとにかくデザイン的にしょっぱい物ができました。
『死ぬ気で頑張るという言葉』は、何も生まず、無意味だと言う事を悟りました。
とりあえずクライアントに謝りに行く事に。
ここでクライアントから、思いもよらないアクションがありました。
より、極悪な方向へ。
つづく。
苦い思い出を思い出し、疲れたので今日はこの辺で。