ブログのすばらしさが、アクセスが増えることでわかった
この記事を見てふと感じた事がありました。
この記事で言う、アウトプット(記事を書くこと)するためには、インプット(勉強)をアウトプットする数倍する必要がある、という点。
これはまさにその通りですよね。
ただ、私のブログが1日100人ほどしか来ていない頃に比べ、現在は1日2000人から5000人(変動激しい)になった時、自分のブログからかなり上質な意見が取得できるようになりました。
この記事は私の個人的感想であって、なにかの役に立つものではないと思いますが、興味があればどうぞ読んでやってください。
これまで、私が何を書いても何か言われるということはありませんでした。
ですが、アクセス数が増えることで、その中の何人かがご意見してくれるようになったんです。
私は忙しい中でも、なるべくブログにアウトプットします。
そのためにはやはり勉強が必要なわけですが、私の周りにも面白そうなネタというのは沢山有り、参考になります。
しかし、私の間違いを指摘するという人はなかなか居ません。
それが、現在では『はてなブックマーク』という形で、私の間違いを指摘してくださるようになりました。
指摘との出会い
ヤコブニールセンのユーザビリティの話に
参加の仕方は一様ではない:もっと大勢のユーザに書き込んでもらうにはの中にこんな文章があります。ブログの話ではないので直結するかわかりませんが・・・。
90%のユーザは単なる読者である(読んだり、眺めたりするだけで、自分で書き込むことはない)。
9%のユーザはときどき書き込むことはあるが、他の優先事項に時間を奪われてしまう。
1%のユーザはとにかくたくさん書き込む。書き込みのほとんどは、この1%のユーザによるものである。Web上に変化があれば、数分と経たないうちにコメントを書き込んでいて、まるでそこから離れる時間が全くないかのような人たちである。
問題は、システムが結局、Webユーザを代表するものになっていない点にある。ユーザ参加型のウェブサイトがあったとしよう。聞こえてくるのは、いつも同じ1%のユーザの声であって、自分から声を発することのない90%のユーザの意見とは当然異なっている。これがトラブルの元となる。
昔の記事でどこのサイトのものか忘れましたが『ブログを書くことで、より上質な情報が集まるようになる。』という記事を頭の片隅においていましたが、100人のアクセスの中ではその意味がわからなかったのも事実です。
それが、アクセスの上昇とともに、引用にある1%に出会えたのかとも考えてみました。
私はこれら意見を初めて目にしたときに落ち込みました。
ですが、よくよく考える落ち込む要素ではありません。
むしろ私の知識を修正してくださる指摘です。
応援のすばらしさ
逆の意見として100人の時には、応援の言葉もありません。
アクセス数が増えると当サイトを『読み応えがある』とコメントをつけていただこともあり、私のブログを書くやる気に変わり、ブログが非常にすばらしいものだと感じる事ができました。
自分の主張だけではアクセスが上がらないもの事実です。
自己主張だけではなく、アクセスを増やす為には、読み手にとって必要な情報を整理して吐き出す事も必要になります。
そこまでアクセス数にこだわらなくてもいいじゃないという事であれば、それはそれでいいと思いますし、固執する必要もありません。
アクセスだけがすばらしい結果という事もありえません。
ただ、私のブログにおきた変化を少しだけお話したかったんです。