1999年人生のデスマーチレポ『運命の人よ』
お金が欲しい。お金がないと何も始まらない。なにも出来ない。
そんな若かりし頃の甘酸っぱい思い出。
今回のエントリについて
さてさて、前回のエントリからしばらくたちましたが後編です。
1998年web制作デスマーチレポート
デスマーチレポ2『完結編』そこで学んだ仕事に対する10の考え方
今回書き上げた記事というのは、まぁウェブ制作に関係ない部分で、実際私のことについて書いているだけです。なので、興味ない人はここで閉じちゃった方が時間の無駄になりませんので先に言っておきますね。
あらすじは前回のエントリ、完結編にて書き記していますが、お問合せメールにて妙に続きをアップしてくださいという声が多かったのでここに残しておきます。
なんてことは無い、1年で借金全部払ったというお話です。
高額アルバイト
これは1998年、企業に盛大に失敗し、その後約230万程の借金を返済していった時のお話。
19歳にしてトイレットペーパーにソースをかけて食べていた私でしたが、さすがにこれは死ぬと思い、働かねば!と思いました。
とにかく借金返済を考えると、普通の仕事ではなんとなく無理な気がしたので、『給料が高い』というこの一転に絞り、仕事をさがしました。北海道の帯広市で短期高額アルバイトというのがあり、車でぶーんって行ってきました。
仕事内容は・・・。
- お店を借りる
- 短期お店飾りを作る
- 近所にビラ配りまくる
- お客さん集める
- なぜか日に日におじいちゃんおばあちゃんが残る
- 激安10円で普通に卵とか売る
- 健康器具、健康食品を売る
- 3ヶ月~5ヶ月くらいしたら別の町へ
まぁ、テレビもあまり見ないので、なにが悪くて何が良いってよくわかりませんでしたから、これで月給30万とか、20歳にしては周りの友達と比較して、結構もらっておりました。
売り上げ上げて何ぼなので、売らないと給料が11万とかでしたね。バイトですけど。
寝泊りはお店でするので、基本的に食費と近くの銭湯や温泉にいくくらいしかお金の使い道がありません。
時間は朝8時半に起きて、9時にご来店。11時まで講習というかセミナー開いて13時まで昼休み。13時からまた講習というかセミナー開いて14時に閉店。
その後在庫確認や、顧客の情報をノートに書いて15時半くらいに終了。
あとは自由時間なわけで。
仕事内容というのも接客です。
気に入られて何ぼでした。ただ、ものを買わない人をさりげなく来させなくしたり、買う人をヨイショするなど今考えるとなかなかエグイ仕事でしたね。
仕事にだいぶ慣れて来た頃、さらに夜のアルバイトを開始。
簡単なバーテン作業+皿洗い雑用+ウェイターというバイト発見。
時給750円!おk!
基本スナックでしたが、男女が入り乱れているような、なんだろ、ホストとスナックが合体したようなお店でした。
週4日。1日19時から2時まで。
1日5250円 x 4週間 = 84000円。
お昼のバイト代と合わせると一ヶ月約384,000円。
正直体はそうとうしんどかった記憶がある。
この前の仕事がデスマーチだった事もあって、お金はとにもかくにもギリギリの生活費をぬいて、あとは借金返済と、親への仕送りを行っていた。
ちなみにこの時の先輩は異常なまでに法律に詳しく、その時に学んだ事が、後に私の糧となっている。
WEB制作のスキルに薬事法と医師法の知識は必要ではないかという提案
ミオちゃん・・・どこいってもうたんや・・・
そんな折、高校の時に何度かあったことのあるミオちゃんから電話が来た。
『もしもし?ちょっとご飯でもどう?』
ナンダッテー!
ミオちゃんはかなりのモテ子だった。これは興奮を抑えきれない。
まぁ、最近書かれた他の人のエントリを見ればわかるかと思いますが、マルチなお遊びの勧誘だった・・・。
マルチ商法に関する俺の体験談を書く
「俺ね、5年以内に起業して年収1000万超えるから。」
私のところにやってきたのはペンタゴノ。
1998年に逮捕者が出ているにもかかわらず、私のところにやってきた(当時はそんな事知りませんでしたが)
完全なマネーゲームで、会員証を4000円だかで購入。同時に、会社に4000円、現在1位に表示されている誰かに4000円払うというもの。
これによって3枚の販売権を獲得し、3人の子を作る。
その子がさらに子を作り・・・さらに・・・という下まで行くと、自分が1位になり、大金が手に入る、という仕組み。
でもって、1位は一回しかない、つまり無限じゃない、そう、つまりネズミではありません!がうたい文句だった。もちろん信じた。
- やる気のある人だけ稼げるので普通の会社と変わりません
- モテマス(お金持ちになるから)
- ジャガー買えます(お金が入るから)
- 合法です。ネズミではありません
- ネズミではない理由はこの資料を見ればわかります
- この入金だらけの通帳をみてください
いざ、購入を決意。
最初の振込みも面倒だから私がやっておくね!と言われ、ミオちゃんにお金をわたした。紹介する為の書類後日送るからーと言われ、まっていたけど全くこない。
おかしいと思ってミオちゃんに電話したら『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』
ナンダッテー!
ネズミ講以前に詐欺じゃないか・・・。
3年前、地元に帰った時に、ミオちゃんが札幌のキャバクラで働いているという話を聞いて、マルチはヤバイ、そして友達関係が終わると確信し、非常に勉強になる出来事でもあった。
実際この後も、色々マルチビジネスの勧誘はありましたが、このときのおかげで危険予知することが出来るようになった。
とりあえず、自分から『ネズミ講ではありません』って言ってきたらまずアウトというルールは絶対だと思う。
ありがとう、ミオちゃん。
睡眠時間3時間
当たり前すぎるけど、8時間と3時間の睡眠時間では、1年で75日間も差が出来るでも触れていますが、この辺りから睡眠障害っぽいかもしれない。寝なくても普通ですが、急に夜中にぽっくり意識を失う感じ。今でも、5時間とか8時間とか長時間睡眠とってしまうと、相当朝しんどい。
そんなこんなのバイト生活を約5ヶ月。
総額、200万くらいになった。営業成績は月ごとに少しずつ伸びていったこともあり、次の町へのオファーがきました。
次は北見市だった。
20歳、春をむかえた。
そして、死にかけた。
とある病魔に体がむしばまれたのです。
助けてくれた女性
まぁ読み返すと、かなり本筋に関係ない話だけど、昔話も含めて書いておきます。
話は横道にずれますが、私が生まれて初めて彼女が出来たのが16歳の時。
友達の家に遊びに行って、中学の卒業アルバムを見せてもらって、その中にいた子に一目ぼれした変態です。
友達になんとかその子を紹介してもらえるように頼み込み、2週間のポケベルのやり取りの後、お付き合いさせていただけた。
超かわいい子だった。
私は電車通学だったのですが、その子は途中から同じ電車にのり、学校は違えどラブラブだった。
その子と同じ中学の同級生に色々と相談乗ってもらっていたわけですが、1ヶ月で見事に振られた。(ラブラブだったのは私だけだった)
しかし不思議な縁で、その相談に乗ってくれた子と、高校3年までの2年間お付き合いを開始。
高校2年の終わりに出会った1つ年上の、酔うと大変エロくなる看護学校の先輩に告白され、何をとち狂ったのか2年もお付き合いした子をふり、先輩とお付き合い開始。
しかし、1週間で破局。ぼえぇぇ。
その後朝の通学バスでずっと同じだった1つ下の子とお付き合い開始。
そのバスの運転手がたまに、その子のお父上だった事に気が付かず、ぼえぇぇ。
なんせその子は私の家よりも遠くに家があるので、途中私の家に来る為にバスを降りる時、運転手がお父上という恐ろしいシュチュエーションだった事もあった。私は当時髪が赤くそして挨拶も出来ないようなバカ増だったので、きっとお父上様に相当嫌われていたと思われる。
まぁ予想通り3ヶ月で破局。
そして出会ったのがその子の友達のT子ちゃんだった。ぬぼーっとしててドジっ子だったけど可愛い子だった。
この子はまさに運命の子だ。
高校卒業後、起業による挫折。しかも遠距離になった。
それでも支えてくれていたT子ちゃん。高額バイトをしてからというもの、1週間に一度必ず会いに往復340kmの距離を走り回った。
移動中50k超過というスピード違反で捕まった。60kのところを130kで爆走。
簡易裁判ののち、1年の保護観察付き。免許3ヶ月停止。死ねる。
後数日遅かったら保護観察飛び越えて罰金になってた。
あの簡易裁判の簡易すぎる手続きは、人として扱われていない感じがしてとてもシュールだったのを覚えている。
週末は保護観察の家へ通う事となる。
そんな折、朝起きたら手足がしびれ、動けなくなった。
病院にいこうにも動けない。
その時、ものすごい偶然で私を驚かそうと、そのT子ちゃんが片道170km先にある私の元に登場。
急いで病院に連れてってもらった。
急遽医者に『今すぐ入院です』と言われ、精密検査を受けることに。
病名、劇症型細菌性髄膜炎
医者の話だとあと1日遅れたら後遺症が残り、2日遅れたら死んでたかもとか言われた。ほんとかどうかwiki見たけど死なない気もする。
なんか強烈な薬の副作用の結果、肝臓がおかしくなる。
髄膜炎の治療に1ヶ月入院、さらに肝臓の治療に1ヶ月入院という結果だった。
しかしそんな事がどうでも良くなるほど、まさにこのT子ちゃんは運命の人だ。
この子がいなかったら病院にいかず、風邪かなぁくらいに思ってたし、もしかしたらあのまま死んでいたかもしれない。
私にはT子ちゃんが必要であり、T子ちゃんの力になりたいと思った。
一生大事にしようと誓った。
生まれて初めて結婚の二文字が頭をよぎりました。
が、人生そうそう甘いものではなく、T子ちゃんに他の男が出来て終了。
うん。そんなもんだよね。
母親が私に保険をかけていてくれたらしく、入院費は回収。
またもや母親に迷惑をかけていたことに気が付く愚か者。
若干の後遺症が残り、障害者等級?だかなんだか、たぶん保険屋さんの等級なんだろうけど、それがつくと、とんでもない手切れ金が貰える。これが入金され、借金は全て返済、さらに貯金まで出来る身になった。
が、実際に等級でもらえるお金は手切れ金みたいなもので、、、
その後の通院とかにお金が出なくなるという落ちもある。後遺症は医者に治らん言われるし、借金はなくなったけどあまり喜べない状況ではあった。
そんなこんなで1999年の終わりが近づき、21歳を向かえた。
翌年。きちんと正社員として雇ってもらえる会社に出会った。
しかし、色々あって貯金がまた0になってしまうわけですが、それはまた、別のお話。
ビフォー
1998年のYamada。
- 借金の残金230万
- 主食 トイレットペーパー
- 仕事 無し
- 車 ワンビア(頭180のケツがシルビア)
アフター
1999年のYamada。
- 借金の残金0円。
- 貯金の残高150万くらい。
- 主食 ウィダーインゼリー。
- 仕事 無し
- 車 スープラ2.5R
人生、何が起こるかほんとにわからないですね。
落ち込む事もあるけれど、落ち込む事が無いと、ぶっちゃけ楽しさを感じることが出来ないと思う。
当時、2ヶ月に1回、自分のご褒美に焼肉を食べた記憶が今でも痛烈に残っています。
あれは本当に美味だった。
目標なんて何でも言いと思いますので、へこんだ時は小さな幸せを掲げ、それに向かってゆっくり歩いてみたらいいと思います。
それでは、また。