『言論の質』という曖昧な言葉に惑わされない為の信念
久々に強烈な違和感を覚える記事だった。
そもそも新聞とブログを比較している辺りから物差しが壊れている気がする。新聞に言論の質を求めいる人なんているの?
早く、端的に、明確に、正確に知りたい
新聞を読む人って言うのは、上の4つの項目を満たしたい人じゃないだろうか。
新聞メディアの一番の売りは、『事実』を捕まえて『スピーディーに伝える組織』という、この一点に集約されると私は感じている。
つまり新聞=言論の質が高いというのは思い切り間違いであって、言論の質自体を高めようとする不毛な努力は行う必要など無いと考えています。
具体的に言論の質とはいったい何なのかというところが最も疑問なわけですが、一個人のブロガーの言論の質というものが、勉強する事によって向上したとしても、ユーザーが求めている情報は、言論の質ではなく、情報の価値です。
楽しいのか、笑えるのか、見ると幸せになるのか、生活の役に立つのか、人生の生きるやる気に繋がるのか、同調することで気持ちが救われるのか、読む事で教養が養われるのか、人に話す事で自慢できるのか、裏事情が見れるのか。
情報の質が重要であって、言論なんてどうでもいいとさえ思える。
プロであるジャーナリスト達が、今から全員ブログを始めたとしても、既存のブロガーよりも優れたメディアになるのかと考えればわかりますが、そんな事はありえない。
単に、プロであるジャーナリスト達が持っている情報になんらかの価値があり、その結果人より目立ったブロガーが居ますが、これを言論の質と勘違いしてはいけない。
彼らが持っているのは伝える技術云々、ラインディング云々ではなく、それ以上に情報の価値を嗅ぎ分けるスキルが人より高いと思う。
その情報が伝わり易いか、伝わりにくいかというのは、勉強すればアップする事が出来るスキルです。
『文章を書く技術に教則本はない』んなわけない
これにつづいて文章を書く教則本が無い、と断言していましたが。ネット上の言論がこのようなマスメディア批判から抜け出せていないのも現実だ。他人の記事を批判するならまだしも、自らニュース記事を書いて発信するとなると、とたんにハードルは上がる。
そもそもマスメディアを批判するのも、ブロガーを批判するのも、文章を書く技術と全く関係ない。
吐きたいから吐く。その一点であって、文章を書く技術をどこまでレベルアップさせようとも、マスメディアを批判する人は批判するし、しない人はしない。
批判されるような言論に批判するツールが増えただけ。というよりも、そもそも批判されない言論などこの世にあるのかどうかすら疑わしい。
言論というものを、『その人が考えている事』と捕らえてかまわないのであれば、『好きな事を言うからには批判を覚悟する必要がある』という事になる。
そして最終的に、反論、批判を受けないものを作っていく必要があるという事になると、『報道』ということになる。
『出来事をただ伝える』という記事は批判される要素が無い。新聞など、これまで批判されにくい媒体だったことから、今の状況が苦しくて仕方ないのではないだろうか。どんな言いたい事を書いたって批判されなかったのだから。
しかし今は違う。ただそれだけの違いではないだろうか。
だからといって新聞の質が粗悪という事もない。
そういったメディアには、多くのブロガーにはない、『足で調査』という現場主義がある。
もちろん足で書いたからといって、言論の質が高いわけではなく、情報の価値が高いだけなんですけどね。
ブロガー言論の質の向上必要なし
書くことの難しさ ネットの言論はなぜ質が低いか
この記事を今一度読み返す。
私が受け取ったこの記事の印象は以下の通り。
こんな感じ。もちろん、受け取る人によって印象は様々で、だいたい私のように批判する人は、『自分勝手の都合に合わせて解釈する』けど。ブロガー質はネットユーザーが批判する既存メディアにとうてい及ばない
(ブロガーは既存メディアよりレベル低い)
[煽りのテクニック]
質の低いメディアは広がらない
(だからブロガーは目立たない)
[アクセスが欲しい人へのアプローチ]
ネット上の言論がこのようなマスメディア批判から抜け出せていない
(批判するだけは出来るんだね君達)
[ソーシャルブックマーカー達を釣るための一文]
自らニュース記事を書いて発信するとなると、とたんにハードルは上がる
(でも自分達からは記事書かないよね)
[記事を書くことが難しいという刷り込み]
オーマイニュースの閉鎖が発表されたが、市民メディアと呼ばれるメディアが広がりを見せないのは、コンテンツの質が低いからに他ならない
(君達ブロガーが駄目な理由はコンテンツだよ、つまり言論の質)
[言論の質という新たな商品を発表]
文章を書く技術に教則本はない
(コンテンツ作成に本はないよ)
[言論の質という新商品は未だ本はない]
職人のように人から人に伝えられているのが現状だ
(だから人から教わるしかないよ)
[これは本当に難しい事だ]
CoSTEPでの経験とマスメディア内に蓄積されたノウハウ
(なんなら教えてあげてもいいよ)
[商品のクロージング]
この週末の合宿からプログラムはスタートする。
(合宿に参加せよ)
[再度クロージング]
この記事のものすごい巧妙なところは、言論の質というものに対して、深く説明しないところ。
曖昧な質を作り上げる事で、その質を向上させるプログラムに価値があるような錯覚を起こさせている。確かにすごいラインディング力だと尊敬する。
じゃあどうしたらいいのさ
書くことが難しい?
じゃぁ書かないほうがいいかもしれない。
お金の為に書いているなら別だけど、SNS、ブロガーの多くはそんなものの為に書いているわけではない。むしろそんなものの為に書いている人が成功している例はほとんど無いと思う。
『書くことの難しさ』は、受け入れるべきでは無く『書くことの楽しさ』を見つけるべき。
書くことは楽しい。
ブロガーの多くは、自分が楽しいから記事を書いている。
なにも難しい事なんて考える事はない。書いて書いて書きまくれば言いだけの話。書くのがつらかったらいくら勉強したところでつらいだけです。
それでももし、質の高いブログにしたいなら、生涯分析し続ける事。
横幅のピクセルを変更しただけでもアクセスは変わるし、Adsenseの貼る場所を変えたって売り上げは変わる。
記事の内容によってはブックマークされないけどアクセスが高いものもある。
質の高いブログ作りのヒントは、書き続けた自分のブログから習べます。
そして言論の質よりも、情報の価値を見極めるように意識した方が良いと思います。
言論の質が誰よりもひくいYamadaのブログでも、面白いといってくれる人が何人かいるのですから。
それでは。また。