頑張り方の違い|努力ってだいたい報われないからね
2012年02月08日 公開

過去に何度かとりあえずやらないとダメだよねっていう記事を書いて、ツイートされる時に「努力の時代はもう終わっている」とか「努力を美化しすぎ」なんていう意見があって、最終的には「努力なんてしたってほとんど報われない」という意見で締められる。
全くもってその通りだ。努力なんて全く報われない。
努力が報われる日はあるんだろうか
ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5
これにも出てくるんだけど
「あんなに一生懸命働かなくても良かった」
「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」
という2つの答えがあるように、結局そんなに努力しなくても良かったというのがランクインしてきている。
では死ぬ前に報われるわけではない努力は、いったいどこで報われるのか。
何千時間と愛情を注いで育てた子供に裏切られることもあれば、何百時間練習しようとも勝てない試合もあれば、寝ずに勉強しようが受験に落ちることだってある。
社会人になると、自分がいったいどういう人間なのかというのがわかってくる。
例えば隣の同僚はメモ等一切取らなくても、見て聞いただけで全てを暗記するが自分にはできない。そのかわり自分は見て聞いたものを、そのまま他の人にわかりやすく伝える方法が他の人より優れているなとか。
こういうことを学生の時にもし知ることが出来れば幸いだが、自分を分析するのは、やはり何らかのプレッシャーがあって初めて行う行為なので、気づくのは難しいかもしれない。
自分を繰り返し分析していくと、夢とは違う方向性というものがおぼろげに見えてくる。
自分はこういう分野が得意だからこれを伸ばそうとか、ここが弱いから強化しようとか、そういう目に見えないステータストレーニングができるようになってくる。
しかし、スポーツでも努力したからこそ優勝できましたコメントがあったとしても、では負けた人は努力していないのかというとそんな訳がない。同じかどうかは別にして必死に努力した結果、惨敗というのは世の常だ。
その努力がでかければデカイほど精神的にくるものがあると思う。
結局、努力が報われるのは本当に一握りでほとんどの努力は全て無駄に終わることのほうが多かったりするわけだよね。
才能あるなぁって思う人の共通点
そんな無駄な努力をいつか報われると信じて私たちは必死に勉強したり、スキルトレーニングを行ったりしているんだけど、こいつ才能あるなぁと思うような人間を見ると、「そもそも努力が無駄に見えない」っていう人生を送ってる人が凄く多いんだ。

スキマを活用する学生
努力はそりゃあもう大変な物なのかもしれないが、例えば学生で出来る奴だなと感じる時は、スキマ時間の活用方法がそもそもすげーなこいつと思えることが多い。
テレビ見ないのかというとそういうわけでもなくて、大いにテレビで笑った後に、食事をするまでのわずか15分に、効率よく学習する「方法」を考えつく。いや、考えついたのか、誰かに教わったかまではわからないけど、机に向かって教科書を広げて、シャープペンシルをカチカチとならし勉強するのが正解というわけではない。
暗記問題、単語問題など、書く必要も無ければ、大きな教科書だっていらない勉強方法はいくらでもある。
毎日学習するのは苦痛だが、それは当たり前ととらえて、その苦痛を少しの楽しみに変化させているような印象だ。その為に100円ショップに通い、面白そうなアイテムがあれば買ってくる人も多いだろう。単語帳を作るという下準備からスキマ時間を活用する工夫は始まっているのかもしれない。
3時間みっちり机にかじり付くのと、1時間半机に座り集中し、残り15分x6を一日のどこかで作るのでは、精神的ストレスも変わってくるし、朝、寝る前、昼、夕方と15分のスキマ学習を行なっているだけで、夜に趣味の本を読んだり、テレビが見たりできるわけだ。
ひと仕事を楽しむ人
社会人になってからの学習も行わないという人は居ないだろう。
むしろ学生の時より必死になって勉学に励むことのほうが多いはずだ。才能ないなぁと思う人は参考書を買ってきてダラダラ読み始めて、ダラダラと勉強する。勉強=時間がかかると考える人に多く見られるケースだが、勉強は何より続ける事が大切だ。
だから日曜日に時間を作って一気にやってしまおう、という人に限ってあまり身になっていないのではないだろうか。だいたい努力する人は、毎日やるんだけど、今まで出会った人の方法で「そんなんでいいの」と思うような方法は、45分きっちり時間通りやり、45分たったら有無をいわさずやめるというやりかた。
なんでもう少しやったりしないのと聞くと答えはこうだ。
「今日もやりきったーって感じている自分が少し好きだから」
あぁぁ・・・なるほどと。

それが好きだから
あとは、就業時間後に、日報の他にノートに今日学んだ事を凄く上手な絵をかきながら注釈を書いている人がいた。毎日遅くまで大変じゃないのと聞くと答えはこうだ。
「絵が好きなんス。」
あぁなるほどと。
これと似た現象として、毎度毎度ブログの扉絵になんであんなにこだわった画像を作るの?と聞くと、毎回毎回それを考えるのが楽しいって答え居る人もいる。
この他、よる寝る前になんだか体がまだ元気だった場合、寝る直前にもかかわらず、腹筋をしながら本を読むという人もいた。理由は簡単で、燃え尽きたいからという話だ。
こういう人達を見ていると、みな共通して毎日の努力をいかに楽しく感じているかが伺える。
結局楽しいから続けられる
彼らは、そうやって積み重ねていく努力が、無駄に終わることもあるというのは知っている。しかし、わずかに訪れたチャンスを掴む時に、学習していたことが役立つ事も知っている。
だからこそ、無駄に終わるような努力そのものを、少しでも苦痛のないものにしたり「それ自体を楽しむには、どうすれば良いのか」ということに対して、自分と向き合い、自分にあった方法を考案している。
つまり、努力が報われる時が初めての成果ではなく、毎日の日常生活においての努力そのものが、ある種の充実感になるような考え方を持っている。
そうやって考えると、費やして努力しても、全く報われることがなかったという状況になった時、そもそも日々の充実感がそれらにあったのだから、絶望することもない。また違うものを探そうかという気持ちのシフトも早いのなんの。
だからね、先のことばっかり見て日々を犠牲にするという考え方も否定するつもりはないんだけど、その継続して行なっている努力の日々をいかに充実して過ごせるかっていう視点で一度見なおしてみると、意外とね、毎日努力が報われる可能性もあるんじゃないかなって思います。
皆さんの中に眠っている才能も、学習方法や日々どうやって楽しむかを考え始めると、意外とすんなり続けられて、開花していけるんじゃないかなと思います。
まぁ、人事ですから、やるのは結局自分自身ですけどね。
それでは、また。